今日、夏の終わりを感じました。



バイト帰り、ドラクエⅤのサントラ集に入ってる「大海原へ」を聞いていたら、
海が見たくなったので、海岸通りへ行く。


海岸に着くと、今日はやけに人が多いことと同時に、月が怪しげな光放ってるなぁと思っていたら、今日は皆既月食の日だったことに気付く。
ちょうど、月が地球の影に隠れているところで、星がいつもより良く見えた。


星がよく見えるときの空はホントに綺麗だ。数十年前はどこの地域からも星がよく見えていたのかと思うとうらやましく感じると共に悲しくなる。


空に、無数に散りばめられた星の輝きよりも、人工的な光の輝きを求めたのは、類人猿が脳の発達という進化を遂げた瞬間から決定されていた歴史的事実なのかもしれない。


これまで、生き物は環境に適応するという力により進化を果してきた。


恐竜が誕生して恐竜時代という歴史がこの地球に刻み込まれたのも、神が引き起こしたか、偶然の産物によるかは知る由もないが、それは誰のせいでもなく、止まることなく続いた進化の力によるものなので、その歴史が間違っている。などとは到底言えないことである。
ということは、人間が誕生して、こうやって文明が発達して、その代償に地球の環境が悪化の一途を辿り続いているのも、ある意味しょうがないのかもしれない。
いろいろなものを考える力を持ってしまった以上、これだけ多くの人がいると、いつかは誰かが考えてしまうわけであり、それは止めることが出来ないほど大きな力に突き動かされている。


それでも無情ではいられないのは、人間は考える力と思いやりの心を持っているからである。
今までの文明発達が脳の時代によるものだとすると、これから地球が平穏な時代に突き進むか、はたまた滅亡するかは、人間の感情がどれだけ作用するかである。人間が突き詰めていくところで、賢いかアホなのかは、歴史が教えてくれる。人間として産まれた以上、自分自身、もっとひとつひとつ起きていることに関して、しっかり感じ取ろうと思った。


帰り道、遠く離れた場所で花火が打ち上げられているのを見て、夏の終わりを感じた。そんな日。